東京医療保健大学和歌山看護学部の大学祭である医愛祭と大村家の長屋門

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今年(2018年)の4月、和歌山市東坂の上丁の雄湊小学校跡地に開校した東京医療保健大学和歌山看護学部(参考1)の第1回大学祭(or学園祭)が、11月3日(土曜日)と11月4日(日曜日)の2日間に渡って開催されていました。

 

東京医療保健大学和歌山看護学部は、我が家(エカワ珈琲店)のすぐ近くに位置しています。11月3日(土曜日)は、仕事が忙しくて見学に行けなかったわけですが、11月4日(日曜日)は、自家焙煎珈琲豆小売店は定休日で自由になる時間がたっぷりあったので、大学祭(or学園祭)見学に行ってきました。

67歳のおじいさん(orおじさん)が、孫のような子供たちの催し物を見学に行ったわけですが、結構、面白く見学させてもらいました。

 

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雄湊小学校は、小生(67歳のおじいさん/orおじさん)の母校です。60年くらい前に入学して、55年くらい前に卒業しました。

「みどりの風に朝をよぶ、姿やさしいとらふすを、ながめて今日もほがらかに・・・」で始まる、高井三(みたび)作詞、北原雄一作曲の校歌は、67歳の現在でも覚えています。

 

何故、覚えているかというと、67歳の今日まで60年以上暮らしている我が家ですが、雄湊小学校のすぐ近所に位置していて、毎年・毎年、何回も何回も、雄湊小学校の校歌を聞いて暮らして来たからです。

 

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同じく11月4日(日曜日)、自転車で買い物に行く途中、岡公園内の岡山丁交番に隣接して移設・保存されている、紀州徳川家で江戸後期に800石取りの中級武士だった大村家の長屋門が公開されていたので、ちょっと立ち寄ってみました。

 

5部屋ほどの和室と台所があるのですが、農業を営んでいた母親の実家(明治の頃に建てられた家で、半世紀くらい前に取り壊しています。)の間取りと比べるとこじんまりとしていたので、案内役の方(ボランティアの歴史ガイド)に尋ねたところ、長屋門のあった長屋は、大村家の使用人の人たちが暮らしている場所だったという答えが返ってきました。

   

ということは、当主の暮らす屋敷は、相当に豪華だったのかもしれません。

江戸後期に800石で紀州藩に仕えていた中級武士の大村家ですが、その屋敷の所在地はというと、和歌山市東坂の上丁、雄湊小学校の跡地で、現在は東京医療保健大学和歌山看護学部になっている場所に位置していたようです。

真向かいにあったと記録されている光明院(西国和歌山三十三ヶ所観音霊場)は、現在(2018年)も、東京医療保健大学和歌山看護学部の隣に位置しています。

 

紀州藩士大村家はもともと今川家の家臣で、16世紀後半に徳川家康に仕え、家康の十男頼宣が紀州に入国するのに付き従って、禄高1500石の紀州藩士となりました。その後は代替わりのたびに禄高を減らして300石くらいになったのですが、10代藩主徳川治宝に重用されて800石まで戻して幕末を迎えたと伝えられています。

 

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(参考1) 

和歌山城周辺に3つの大学がやって来るプロジェクトが進行しています。そして、最初にやって来た大学が、東京医療保健大学和歌山看護学部です。