和歌山城に残る唯一の櫓(やぐら)門は国の重要文化財

豊臣秀吉の弟、豊臣秀長が和泉と紀伊の国の領主となって、1585年に和歌山城の築城を開始、翌年(1585年)、桑山重晴が城代となって城を整備します。

関ケ原の戦のあと、浅野幸長が紀伊和歌山37万6千石の領主となり和歌山城に入城。

 

1619年、徳川頼宣が紀伊国の領主となって入封。その後、江戸幕府の時代、頼宣を藩祖とする紀州徳川家は、徳川御三家と呼ばれ2人の将軍を輩出します。

和歌山城は、徳川頼宣の時代に、その規模を拡大整備して名城と呼ばれるようになったと伝えられています。

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天守閣や他の多くの重要文化財建造物は、第2次世界大戦時の和歌山空襲で焼失したのですが、奇跡的に岡口門だけが戦災を免れて残存したそうです。

岡口門は、1621年(元和7年)に徳川頼宣が行った城の大改修の際に作られた櫓(やぐら)門だと伝えられています。

 

ちなみに、Wikipediaによると、櫓門(やぐらもん)は、門の上に櫓を設けた、特に城に構えられる門の総称で、二階門ともいうそうです。

岡口門は史跡和歌山城内の南東部に位置します。築城期から浅野氏が大手を一の橋に変えるまでは大手門でした。現在の門は、元和7年(1621)に城を拡張した際に、整備したと考えられています。櫓門の形式で、延長40mの土塀(附指定)が北側に続き、12か所の銃眼を設けています。

和歌山市の文化財より引用